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2022/09/12: 夏も終わりだし百物語をしよう

昨夜「眠い」と書いてシャットダウンしたにも関わらず眠れなかったので、朝(夜)の3時にも関わらず大学図書館1へ行って来た。これは本学図書館特有のハックなのだが、同じタイトルの本でも通常の棚にあるものと教科書/参考書用の棚にあるものでは貸出期間が異なり、講義用に設定されている後者の方が当然長い2。というわけで「論理学をつくる」はこの方法で延命し、ついでに他にも何冊か本を借りてきた。本命は(昨日ちょっとだけ言及した)ポアンカレの「科学と仮説」である。このせいで今読んでいる「ソフィーの世界」はおそらく返却期限(1週間後)までに読めないだろう。こちらは一度返してまた翌日借りに行くという非常に面倒な方法で延命するしかない。


健康管理用のスプレッドシートに対する読み書きをAPIを用いて自動化しようとしたが、Google FitのAPIが異常な仕様をしていたのでやる気が無くなった。スプレッドシートの方はそうでも無さそうだったのでとりあえず先に書き込み機能を作ろうと思ってリファレンスを眺めていたらこっちもこっちでアレな事が判明し、外部ライブラリに頼ろうと思っている。


先日の日記で超越数の実在性が希薄な事を述べたが、「実在性」より「手に負えない度合い」とする方が個人的な感覚を正しく表現できていると思う。代数的数について色々考えていたら、こいつらが可算濃度な事を知った3。したがって有理数を真に包んでいるこいつらですら可算濃度という事は超越数の方が濃度が大きいという事になり、仮に私が実数直線から何か数をランダムに取ってきた時、殆ど必ず超越数が降ってくることになる。それにも関わらず、大抵の超越数は現代の数学や自然言語を以てしても表すことが出来ないように思える。

例えば√2であればf(x) = x^2-24の根(の大きい方から数えて1番目)というHuman Readableな表現方法が見つかっている。これに基づけば全ての代数的数は仮に無理数であっても5根となる多項式(と根の中での位置)を指定すれば表現できることになり、人間が読み書き出来る形式で表すことが出来る。一方超越数はどうか? 自然対数の底のように表現できる超越数は一握りで、多くの超越数はそれを表現できる方法が現在の数学において発明されてないと思われる。そもそも人間が扱える文字が高々可算だと仮定したら6、その文字に整数を対応させて更にインデックスを次数とした整数係数多項式と対応するので、文字による表現の濃度は代数的数と同程度であり、つまり高々可算。よって、超越数や実数のような非可算濃度な数は人間の表現能力を超えている。

実数に実在性を感じるのは構わない。しかし、そこには我々が知らない事の方が多いどころか、殆ど知らない事で埋め尽くされていると考えると、「知っている」とか「扱っている」というような近い距離の意味で実在性を主張するのは誤っているように思えてしまう。更に言えば、脳内で数直線にランダムに点を打つという思考実験をする度に未知と遭遇し、深淵を覗いている(そして覗かれている)という事を考えると恐怖を感じずにはいられない(ここで99本目の蝋燭を消す)。


今回は数学用語を沢山使ってしまったし記述能力の可算性を論じてしまったので「数学的議論をしているわけではありませ~ん」なんていう言い訳が使えない。「実数の未知性」による恐怖よりここから鉞が飛んでくることの方が怖いかもしれない。

まあ本当に恐ろしいのは実数でも鉞でも無く、実数を作り上げたり、鉞を投げたりしてくるぐらい能力がある「我々人間」なんですけどね(ここで100本目の蝋燭を消す)。

1

なんと無人なので24時間営業

2

通常2週間のところを2ヶ月借りることが出来る

3

正確にはなんとなくそんな気はしていたが、たしかにそうであると知ったのは結構最近である

4

このブログのテンプレート弄るの面倒でKaTeX入れてないです

5

なんなら複素数であっても。この事から有理数と実数の間の数の区分けとして代数的数を考えるのは些かナンセンスな気がしなくもない

6

非可算濃度にしたら対応する実数が存在することになるが、実数の表現方法を考える際に「表現文字に対応する実数が存在する」としてしまうと循環するので非可算濃度では無いと思う

7

「わだかまり」と読むらしい。とりあえず変換する癖のせいで無駄に漢字が多くなる