日課の Scrapbox 巡回をしてたら幸福についての記事が連なっており、それを適当に眺めたらこんな記事↓が見つかった
個人的に気になったのは「意識を省略しない」の項目である。そのまま引用すると次のようなことが書いてある。
ご飯食べながらスマホを弄ったりしない。小脳やシステム1(オート)に人生をまかせるほど、人生の体感時間は短くなるし、認知が雑になってくる。
美味しいものを食べるときには、意識を集中する。しっかり香りを嗅いだり、舌触りを味わったり、かみしめたりする。雑にやらないことで、認識の密度が驚異的に変わる。
料理でもシャワーでも恋愛でも、楽しい時間のパートは、意識を省略しない。
どうにも最近射精が気持ちよくない理由の多くは、ここで述べられている事を射精に適用して、射精に対する意識を射精時に保てていないという事に由来するような気がする。ここ数年はだいたい同人音声を聞きながら射精しているが、聴覚にしか作用しない媒体なので、視覚には関係無いだろうとプログラミングのリファレンスとか数学の解説記事とかを見ながら聞いて (ついでに陰茎を弄って) いることが多い。
半年ぐらい射精がつまらないみたいなことを思ったり、言ったりしていたが、そもそも射精を楽しむという努力をしていなかったのが問題では無いだろうか。よく考えたら指示されながら陰茎や他の性感帯を弄るタイプの音声の満足度は割と高い気がする。
ところで note の CXO 様、まともな幸福論に関する記事に対してこんなクソみたいな性的嗜好の話をぶちまけたクソ記事を上塗りしてしまい本当に申し訳ありませんでした。ちなみに割と性的な話をカミングアウトすることが一種の性癖のようなものとなっているのでこれは実質 note に向かって射精していると言っても過言では無いのでしょうか。