気が向いたので以前のように日記にタイトルを付けた。
昨日の話だが、神奈川にある大山に登ってきた。1 年ぶりかつ 3 回目の登山が高低差 900m (約 300m -> 約 1200m) で多少心配だったが、同じグループの中では経験者 2 名の次ぐらいにスムーズに動けてなんとかなった1。今年の夏は全然運動をしていなかったが、大学院生ぐらいから長いこと続いている 30 分から 1 時間ぐらいの散歩習慣が割と効いたのかもしれない。
モチベーションが湧いてきたのでトレーニングをしたり他の装備を買い揃えたりしてまた近い内に行きたい (実は 2 週間後に行くことがこの登山前に決まっているが)。東京は奥多摩が、埼玉には秩父があっていずれも電車で降りると直ぐ登山道の入口というコースがあるためこれらに挑むつもりである。千葉は関東平野という名前の通り標高は高くなく、最高峰でも 400m 程度らしいがこちらもまた内房線と外房線からアクセスが良いところから登れるようなので、準備はしっかりしつつも軽く登りたい時の候補としている。
ちなみに登山をちゃんとやりたい理由の 1 つに「登山を趣味にすればそれに向けて普段から健康に気を使うようになって痩せるのではないか」という多少本質とは逸れたものがある。
座り方に関して、どうして良い姿勢を維持するのが難しい椅子ばかり生まれてしまうのか疑問に思っている。前職の椅子が特にそうだったが背もたれが低く「仙骨座りをしてください」というような椅子が世の中には多すぎる。
創作は「創」という文字のせいで無から有を生み出す特別な行為としてオタクから神聖視される事が多いように見えるが、その実態はシード値を入れて後はプロコトルに従った作業を続けることであり、そのシード値を入れる部分には確かに個人の思考や傾向が介入して大きな自由度が存在するものの、一度そのプロコトルが確立してしまえばマニュアルや固定された工程が存在する作業と大きな違いが無いと思っている。
これは別に悪い事ではなく、そのプロコトルを洗練させることは技術者が自身の技術を高めることと同等であり、違いはシード値が顧客の要望に依るのか、それとも自身の嗜好に依るのかに過ぎない。
今日知った雑学に「モザイク (mosaic)」は実は日本語が由来という事がある。どうやら日本の AV が海外に輸出された際、そのシコリティの高さに海外の紳士達は感動したが唯一局部を隠すあの忌々しい模様だけは納得出来ず、Japanese Pixels と最初は呼ばれた後に日本での名称が伝わったという “HENTAI” と似たような経緯があるらしい。
という嘘を考えたんですがどうでしょう?
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このような書き方をしたが全員でちゃんと登頂したので個人ごとに大きな差は無い ↩