髪を切ってきた。ついでに強めのパーマ1を掛けた。数ヶ月前までは縮毛矯正をしていたが、美容師の方にパーマを勧められたのと髪型を安牌に留めるより弄ることに興味が湧いたので強く掛けてもらった。
大学生と院生の時は 3 ヶ月、酷い時は半年に 1 回しか切りに行っていなかったが最近は月 1 で美容院に行っている。しかも最近はパーマかカラーのどちらかを毎回やってもらっているので頻度が 3 倍、費用が最大 3 倍とコストはかなり高くなった。
そういえば今日は妙に自分から喋る日だったが、何か良いことでもあったのだろうか。自分のことなのに全くわからない。むしろ鏡を見たら自分の顔が自覚していた以上に膨らんでいて落ち込んだぐらいである。ただ、帰りに「いつもより服装がオシャレですね」と言われて気分が良くなった事は覚えている。もちろん、時系列を見ればわかるように自分から喋ることとは何も関係ない。
以下の記述 (この節だけでなく次の節も含む) は散歩中に反戦デモを見かけて考えたことの脳内ダンプである。
もし、この世界に戦争や軍事といった概念が存在せず常に平和が約束されていたら、ミリタリーファッションは生まれなかったのか、それとも別の名前で生まれたのかを考えていた。考えていただけで結論は出ていない。ただ、非現実的な被害妄想になるが、もし世界が反戦志向に向かった際にこのようなファッションが前時代的で排斥されるものとなる事は起こってほしくない。これは特にミリタリーファッションが好きなわけでは無いが間違いなく言える。
柞刈湯葉先生の「人間たちの話」に収録されている同名の表題作に対して、筆者自身のあとがきだったか別の文章だったかは覚えていないが「地球外生命体が発見されるのは生物の定義が変わった時」のようなアイデアが生まれたというような事が書かれていた記憶がある。私はこの考え方がかなり好きで、前述した平和に関しても「各国による (核も含めた) 軍事力は有されていれど、抑止力による停戦状態が継続する」という定義にまで落ちて実現するという予測を立てている。
多分、言及元の筆者はこのような形で自身の発言を引用されるのを好まないだろうからこの話題はここまでにしておく。
-
ニュアンスパーマは 8 月に掛けてもらったが直毛から急に癖毛に戻ったような感じになって制御に苦労していた ↩