明日は 2 ヶ月半ぶりの飲酒が確定している。学部時代の同期1がオンライン飲み会をセッティングしてくれた。そういうわけでスーパーで酒とつまみを買ってきた。ダイエットがある程度成功し、更にまだ体重が減るような雰囲気が見られる (筋トレ頻度を下げてもまだ減り続けている) ので、たまには糖質を酒と食事の両方から摂っても問題は無いだろう。
修士 2 年でいる事に嫌気が差し始めた。金の心配もあるし思った以上に非本質的だったりつまらなかったりするタスクが多くて現実逃避の読書とネットサーフィン (最近は主にオタクによって書かれた数千ページもある Scrapbox を読んでいる) の時間が増えている。研究に関しても、正直なところテーマに対して研究らしいアプローチが出来ていない気がする。サーベイや先行研究を読んで数式を追ったり、厳密な解説、証明を加えたりする事は出来るのだが、新規性や価値を生み出す事は到底できそうも無い。
自身の興味関心や所属を宣伝、勧誘するために広報を打つ活動をしている人は多い。私が同様の事をするのなら、おそらく CTF を広める活動をするのであろう (なお、ちょっと前は考えようとしていたが今はあまりやる気が起こっていない)。ただ人を呼び込んだ後についての考えは人それぞれだと思っていて、単純に人口を増やして楽しむ人を増やしたいという目的もあれば、人を増やせばその分野において優秀な人間が発生する可能性も高くなるのでそれを狙うという目的もあるかもしれない。私はあまり界隈の発展に寄与する活動をしては無いが、(どの分野や界隈にしても) 人口が増えて欲しい理由としては後者の立場を強く主張している。頭の良い人間に惹かれるという一種の「癖」があるからだ。ちなみにこれは純粋な知への憧れの他にマゾヒスティックな理由もあるのだがこの話は未来の時間軸の自分に譲る。
ところが最近、そもそも「ある分野で頭角を現す人間は、別の分野でも頭角を現すのではないか」と考えるようになった。そこから強く推論を進めた上で非常に平たく言うなら「天才の総数は不変」ということになり、その数少ない天才を呼び込む為に活動の宣伝を行うことになる。仮にそういった天才が自身が所属する分野に来なかったとしても別の分野で大きな業績を成し遂げるのだとしたら、世界全体で見れば寄与の総量はあまり変わらないことになるため、そういう意味では別に自身の分野に来なくとも何の問題も無いのである。特に科学においては私は割と全体主義者的な考えを持っており、私が好きとは言え、数学や計算機科学だけにリソースを割けば良いとは微塵も思っていない。
何故、こんな事を考えたのかといえば、入門系の記事や資料を書くか書かないか迷っている分野があるからである2。確かにそういう資料は入ったばかりの人には役に立つかもしれないが、将来その分野で大きな寄与をする人間にとっては他の既存の資料をバリバリ吸収していくと考えられるからである (そもそも私は私の資料無しである程度の壁を超えたため、天才の皆様なら私と同様に私の資料が無くともなんとかなるだろう)。
一方で、そういった天才の加速を手伝いたいという気持ちは実は完全には捨てきれていない。そうなると書かなくてはならないのは溢れかえている入門用の資料ではなく、それを超えてその先へ進むための資料であり、そしてそれは何よりも入門を一応超えたところにいる私が今最も欲しているものでもある。結局、天才にも通用する資料というものはその分野を極めた天才にしか書けないのでは無いのかと思う。