まずはじめに脳内世界の話をする。一昨日、本屋で惑星ソラリスのラストの、びしょびしょの実家でびしょびしょの父親と抱き合うびしょびしょの主人公さんの事を思い出してソラリスを購入した事を昨日の日記に書いたが、そういえば惑星ソラリスのラストの、びしょびしょの実家でびしょびしょの父親と抱き合うびしょびしょの主人公さんの作品をあまり読んでいない事を思い出したので、惑星ソラリスのラストの、びしょびしょの実家でびしょびしょの父親と抱き合うびしょびしょの主人公さんの作品をカクヨムで読んだら、惑星ソラリスのラストの、びしょびしょの実家でびしょびしょの父親と抱き合うびしょびしょの主人公さんの書く物語やその文体、そして世界観が気に入ったので、現在の脳のメモリのキャッシュに惑星ソラリスのラストの、びしょびしょの実家でびしょびしょの父親と抱き合うびしょびしょの主人公さんが存在している。
では続いて現実世界の話をする。私は現在、大学の寮を名乗る都内のワンルームもビックリするレベルの居住空間に住んでいる。おそらく広さで勝てるのはカプセルホテルとネカフェの個室ぐらいだ。狭さ以外にも問題があって、洗濯機と浴室が共用なことだ。どちらも数はそれなりに備えられているので日常生活を送る上で支障を来す事は無い (最初に上京した時に住んでいた学生会館は 80 人ぐらい住んでいるのにシャワーが 3 つ、洗濯機が 7 つしか無い、訴えたら勝てたかもしれないレベルだった)。問題なのは、浴室を利用後にすのこや床をびしょびしょにしている輩が非常に多いことだ。びしょびしょになった床やすのこをしっかりと拭いてから出るよう掲示が張り出されているにも関わらず、この状況は入居時から変わっていない。びしょびしょな事が問題なのではなく (いや、問題だが)、床がびしょびしょなせいでそこをスリッパで踏まざるを得ず、そこで滑るのは勿論、びしょびしょのスリッパで廊下に出て滑る事も問題だ。今日も廊下で滑りかけて心臓が止まるかと思った1。
さて、この 2 つの世界が交わる時が来た。いつもならびしょびしょになった床を見て嫌な気持ちになったのだが、私の脳内に「びしょびしょになった床」という情報が入り、概念情報に変換され、「びしょびしょ」「床」ぐらいの粒度に落ちた時、前者 (つまり「びしょびしょ」) が脳内メモリのキャッシュと照合され、惑星ソラリスのラストの、びしょびしょの実家でびしょびしょの父親と抱き合うびしょびしょの主人公さんのこと、正確には惑星ソラリスのラストの、びしょびしょの実家でびしょびしょの父親と抱き合うびしょびしょの主人公さんの書いた数々の物語の事を思い出した。はじめに書いたように、私は惑星ソラリスのラストの、びしょびしょの実家でびしょびしょの父親と抱き合うびしょびしょの主人公さんの物語が好きだし非常に面白かったので「びしょびしょ」という概念を受け取ってそれらを思い出し、思わず笑顔になってしまった。これからも床がびしょびしょな状況は続くだろうし、そのせいで床や廊下で滑ることも続くだろう。しかし惑星ソラリスのラストの、びしょびしょの実家でびしょびしょの父親と抱き合うびしょびしょの主人公さんがその物語で私を笑顔にしてくれたおかげで、これからはびしょびしょの床を見ても嫌な気持ちが湧かなくなるかもしれない。惑星ソラリスのラストの、びしょびしょの実家でびしょびしょの父親と抱き合うびしょびしょの主人公さん、ありがとうございました。
それはそれとして、浴室から出る時にすのこや床をびしょびしょにして出てくる奴はギポポさんに喰われて欲しい。
煙草を吸っていた時期がある。ちょうど 4 年ぐらい前だろうか。ちなみに電子と紙の両方だ。吸い始めた理由は覚えていないが、元々口に何かを咥える事は癖として存在しており、これは無関係では無いと思う。小学生の時は鉛筆が短くなるより先に、持ち手の部分を噛みすぎてボロボロになった事が原因で使えなくなったし、大学生になってからも初代耳掻きは柄を噛み過ぎて半壊している。今も他の指の爪に比べて親指の爪だけ妙に短いのは勿論噛んでいるから短いのである。もし私が女性として生まれるかゲイだったとしたら、セックスよりフェラチオの方を好んだかもしれない。
脱線が長くなった、そうだ煙草の話だ。結局この吸っていた過去は数ヶ月程度で終わった。飲酒相手が喫煙者かつ、彼らから渡されない限り、煙草を吸うことは無い。理由は主に私が面倒くさがりだということだ。
まず吸うのに場所を必要とする。吸っていた時期は東京で下宿をしていたが、煙草を吸っていると退去時に金を取られたり、そもそも禁止の可能性もある。今住んでいる学生寮 (本日 2 回目の登場) も確か規約に禁煙だと書かれていた。そうなると駅前の喫煙スペースで吸わざるを得ないのだが、コストが大きすぎる。「あー煙草吸いたいなー吸うか」と思ってから徒歩数分 (私の場合は 5~7 分だった) かけて駅前の喫煙スペースへ向かう間に喫煙欲求は霧散した。正確には、(後述するように) 霧散する程度の喫煙欲求しか発生しなかった。
大きいのは移動コストだけではない。金銭はもちろん、補充コストも要する。前者は言うまでもないので後者について説明すると、煙草は毎日ポストに投函されたり、庭から生えてきたりするものではないので定期的に自分で買いに行く必要がある。工業化ゲームをしたことある人ならサプライチェーンを自動化する事の重要さをわかってくれるだろうが、こういった嗜好品の補充は残念ながら現実世界だと人力になる。前述の空間コストの問題は電子タバコによって解決されたが、今度はこの補充コストがネックになる。なお、この補充コストの問題は自炊でも付き纏っている。これは (たまに日記で書いているように) 普段の食事の多様性を代償として、2 週間分の食材を買い込むことで解決している2。
そして、煙草を自然と吸わなくなった事の決定的な要因は、結局ニコチンが作用する程、脳が敏感で無く中毒に至らなかったことだ。脳味噌を如何に満たすかという競技において、ニコチンは計算機と書籍から半永久的に与えられる刺激に勝てなかったのだ。そして数年後、同様の理由でアルコールも敗北している (ここ最近は月に 1 日飲めば多い方だったが、8 月と 9 月は 1 滴も飲んでいない)。どういう訳か、私の肉体と化学物質は上手く反応せず、一方で私の脳味噌と記号の羅列は非常に激しく反応したようだ。
それでも (過剰に) 飲酒した時の酩酊感や葉巻の味はまだ覚えており、これが脳内に残り続ける限りはこれらの嗜好品もまだ嗜む可能性が高い。常習性が無くなっただけでまだ娯楽としての立場を追われていないし、そういう意味では一度経験して飽きるという過程は、これらの有害な化学物質を実質的に無害化して楽しむのに必要だったのかもしれない。
ところでこの日記は今日の 00:00-01:00 にかけて書かれたものであり、実質的に (あるいは論理) 昨日の日記である。今日は CTF があってそっちに集中したかったし、多分まともな出来事も起こらなそうだったので先に書いておいた。