ある関数が定義されたらそれの単射性、全射性を調べてみたくなる病気に最近罹っており、今日は対関数がそれに該当した。前々からこの関数によって自然数の組が自然数と一対一対応するのは知っていたので全単射性を示したくなったのだが、全射は多分数学的帰納法で上手く行きそうな気がした一方で、単射は意外と骨が折れそうな予感がした。というわけで Wikipedia を見たら示している PDF へのリンクが載っていたのでそれを見たらかなりシンプルに書かれており、無事に目的は達成された
… ここまで聞けば「はいはいいつもの計算機おもしろ情報ですか良かったですね1」で終わるのだが、重要なのはそこではない。読んだ証明は簡潔だったし、(当たり前だが) ついでに全単射性も証明されたので結果だけ見ればハッピーエンドなのだが、目で追った証明を自分で再現する気力が失われてしまった。なお、自分で再現するというのはこの証明を (転写せずに) Obsidian に自分の言葉で書いて「対関数」の項目を完成させることである。ちなみに、証明で出てきた不等式を紙に雑に書いて再現することは終わっている。
結局、私が欲しかったのは「全単射性がある」という事実とその根拠2であり、それを記録したり蓄積することではない。仮に自分で証明出来たとしても、計算用紙に書いた証明 (の中間表現のようなもの) を眺めて同じような気分になっていただろう。
この事実を確かなものにするプロセスの前は、これから示す事、そしてそれをしっかりと記録する事にワクワクしていたのだが、それが嘘のように消えてしまった。そしてこの喪失感に襲われないようにするためには、事実を確定させないことが必要でそれはそれでむず痒いというジレンマに襲われる。
まあおそらく、その喪失感がある程度薄れた段階で「知っている事にしつこさを感じながら、それに耐えて気合で証明をタイプする」というマゾヒスティックな解決方法でなんとかなり、そこまでやってようやく完全に事実を確定出来るのだろう。なんでこんな苦行を積んでまで個人 Wiki の項目を増やそうとしているのか、1 年半ぐらい書いているが甚だ謎である。
大学院で応用数学をやったり、趣味で抽象性を伴う数学をやった結果、身に付いたと思う数学に関連する素養のようなものを適当に挙げる。抽象的なものから具体的なものまで挙げるのでまとまりが無い事を先に伝えておく。
- 2 つ集合が同じである事を示すには両側の包含関係を示す
- 関数が与えられたら次を調べる
- well-defined か
- 単射か
- 全射か
- 仮定と結論を与えられたら、その逆はどうかを調べ、もし逆が成り立たないなら反例を構成する
- 仮定と結論が与えられたら仮定を弱めた場合に成り立つかを考える
- なんらかの数学的対象が与えられた時に、如何なる場合でも存在するかを調べる3
- ついでに存在すれば一意かどうかを調べる
- ある問題の解が満たす性質が与えられたら逆にその性質を満たすものもまた解となるかを調べる
- つまり、解集合を特徴付ける
- (主に他人の数学的操作を見て) 公理や矛盾していない定義から外れていないかを確かめる
- たまに想像を絶するぐらい直観に頼って数学的操作をする人間がおり、結論が正しくても演繹や推論が正しくないのであれば、結論が誤っていることよりも恐ろしいと思う
ここには載っていないことから、残念ながらまだ選択公理を暗黙の内に使っていることは否定できない。そろそろ本腰を入れて数学基礎論をやろうかという気はある。