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2023/01/09: 観測・思考・言及のシーケンス

この部屋に住んでもうすぐ2年になるが、今日初めて「片方のカーテンの表裏を間違えて取り付けていた」事が判明した。原因としてはカーテンを開閉する機会が少なく(1階に住んでいるわけでもないのに、主に開けるのが面倒だという理由で常に閉めている)、カーテン自体を見る機会が少ない事が考えられる。カーテンの開閉を面倒くさがる事からわかるようにこの表裏の不一致を正す事も面倒なのでおそらく3月までの引っ越しの間に直す事は無いだろう。


どうも俺は被害妄想が甚だしいらしい。被害妄想というよりは「勝手に嫌われたと思い込む」傾向にあるようだ。何故そんなある種の病を抱えているかと言えば、自分が「嫌悪ベース」で動いているからだとか色々理由は推測出来る。私にとって嫌悪とは非常に単純で扱いやすい感情であるし、それを組み込むだけで関係性の考察を終了して思考停止出来るという大きな影響がある。

なんでこんな事を書いているかと言えば、勝手に嫌われたと思っていた旧友に対する連絡を試みたら、快く1返信してくれて再び関係が構築出来そうだからだ。LINEのアカウントを数年前に俺が爆破し、そのせいで変な誤解を生んでしまったのではないかという懸念がずっと残っていただけだった。


観測と思考と言及が独立していない事が多い。何か議題が目に入れば考え始めるし、結論が発生したらそれを何らかの手段で出力してしまう。したがって、全ての言及が観測から発生しているわけではないが、これを逆に辿れば観測を妨げる事である程度の(特に悪い意味での)言及を回避する事が出来る可能性がある。ちなみにここでいう観測は主にTwitterのタイムラインから引き起こされるものであり、まとめサイトやミュートすべき邪悪なユーザー等は思想上の理由からほとんど見ないかミュートされているため、特に問題としない。

残る問題は「これまで何度も観測を妨げる試みをしているのに失敗している」ということである。そういうわけで外部の知識を頼ることにし、年末にデジタル・ミニマリスト スマホに依存しない生き方 (ハヤカワ文庫 NF 573)を図書館で借りてきて読んだ。Tweetdeckを開いても新着が来ていない事が多い通知とDM欄に目を通して、後は適当なリストを眺めて直ぐ閉じるようになったため、ある程度効果は出ているものの、ここ2週間ほどの経過観察によれば、手持ち無沙汰になった時に手癖でTweetdeckを開いており、邪悪な情報源に触れる可能性は依然として高い状況にある。

そもそも、これまでもTwitterから「意思の力で」離れる努力はそれなりにしており、どれも長期的な効果は無かった。そこで今はSNSを忘れるぐらい打ち込めるものを探すという方針をとっており、日記を再開したのもそういう理由だ。加えて、他者や集団への言及を回避するために、以前書いていた時と比べると日記で言及する内容も自分に関連する出来事ベースとなるように努めている。


大した料理もしないのに、Youtubeで料理動画を見る事が増えた。最近のお気に入りはGenの炊事場 SUIJIBA - YouTubeで、タコスを始めとした中米料理の回をよく見ている。そのせいなのか知らないが、今はスーパーへのアクセスが悪くて難しいものの、就職したらちょっと凝った料理を休日にしようと考えている。一部の計算機のオタクは自作コンパイラをはじめとして車輪の再発明をすることがあるのだが、その精神がとうとう料理にも影響したようである。

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これも表面的なものであるという懸念は残っているが、こういう事を考える程度には被害妄想を抱えている