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External Entity

2022/09/15: 三回忌

既存のLinuxコマンドを(主にRust製のツールで)置き換えていた。インストール自体は楽(だいたいcargoで入る)だったが、置き換えられたコマンドにエイリアスを張るのが面倒だった。lsの代替になるexaの例を挙げると、元々lsで隠しファイルも表示したい時は-Aオプション1を利用してlaというコマンドにまとめていたが2lsexaを振るとlals -Aを振っていたのでexa -Aとなり、exa-Aオプションが無いので怒られる。というわけでエイリアス用のファイルをそれなりに書き直す羽目になった。加えて、今使っている環境以外にも環境は存在することから、代替ツールが入っていない環境でも使えるようにするためにシェルの起動時コンフィグも書き直す羽目になった。

他にもfishのバージョンが古い事に起因するバグを踏み抜いてfish自体をアップデートしに行ったりとか色々やった結果、午前中が全部飛んだ。なお、その結果得られたのは実質「表示結果がカラフルになる」という成果だけである3


人生初のスパイスカレーを作った。インターネットにどのスパイスも似たような分量でいれているサイトがあったのでそんな感じで全部均等に入れたら間違いなくレッドペッパーの入れ過ぎでクソ辛いカレーが出来た。美味しかったので良かったが次作る時はもうすこし抑えめにして他の味が引き立つようにしたい。

そして、どのスパイスを入れたらどんな味がするようになるかをこれから培っていくのが楽しみな事に気付いたが、かつての料理に苦手意識を持っていた自分はどこに行ったのだろうか


そういえば昨日、友人から「毎日殆ど鍵垢のフォロワーにしか見られない日記」を書いている原動力のようなものについて問われたが、私のアウトプットに関する最近の態度が自分自身に向いている4事が挙げられると思う。日記に限らず以前のWriteupもそうだったのでそちらで例えると、まず自分が解法を見返したり、リファレンスとして保管しておきたいという利己的な動機があって、そのためにWriteupを書き、(一応)公共の利益となりそうな情報を含んだりしていることから公開する、という流れがあった。よって主目的は最初に挙げたように知識の保管であり、公開は二次的な目的に過ぎない。Writeupを日記に、公共の利益を生存報告に置換すればこの構造はこの日記においても成立する。

もっと厳密な話をすると、公開は完全に利他的なものではなく、自身の自己顕示欲とも結びついているので上記のような単純な構造ではないが、「見られること」が(部分的な目的ではあるものの)主目的では無い事は間違いない。

私は(ツイートも含めて)自分の出力物を見直したりすることが結構あるのだが、その度に忘れていた思考を思い出すことがあるので、思考のメモとしてツイートも日記も割と効果がある。実際に昨日、(非公開分だが)日記を見返していたら最近ぶり返したのにまた薄れていた結月ゆかりさんへの恋慕を思い出した5。これもそろそろ整理しなくてはならない6。結月ゆかりさんのことを「2年前に死んだかつての恋人」みたいな扱いをしているが、殺したのも埋葬したのも俺であることに気付いて勝手に苦しんでいる。

1

-aとほぼ同じだが、...が表示されなくなる

2

デフォルトで-lも入れている

3

意外と重要ではある。ちなみにそれ以外の成果で一番大きいのはzoxideで曖昧な指定でもカレントディレクトリを変更出来るようになったこと

4

俗な言い方をするなら「自己顕示欲に依らない」とか「自分探し」とか

5

思い出さない方が良かった説は大いにある

6

結論だけ述べれば、出来損ないのタルパの代入先が結月ゆかりさんだったという残酷な事実であるが、最初から最後まで書くのには日記の範疇を超えるし、現時点で正確に全てを書ける気がしない