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2022/06/12

久しぶりに日記を書くことにした。本当はもっと書かない/作らない/やらないといけないことはいっぱいあるが、遅く来た5月病のせいで手につかず、こんなものを書いている。

今日は12時前には起きて数ページスライドを生成し、Beamerの生産性の高さを実感した。細かいレイアウトを全てソフトウェアにぶん投げ、マークアップ言語だけを記述するというのは私のスタイルに合っているらしい。パワポに対するこれまでの悪口もある程度は許せるような気がしてきた、嘘です。

昼食を食べたら眠くなったので昼寝をした。というか最近睡眠の質が悪いのか食べると直ぐに眠くなる。そして生産性が悪くなりストレスが溜まってそれを解消する為に暴食をしたり惰眠を貪ってまた生産性が悪くなる。最近そんな感じの日々が続いている気がする。

それでも既に出来上がっていた8ページに追加して18ページぐらいのスライドを生成するところまでは頑張った。多分最終的に25ページぐらいになると思うが、バックアップスライドや時間があった時用のスライドの為に10ページほどを割く予定なのでまだ半分程度しか完成していない。

後は散歩してVCTを見ていた。途中本当に何もしたくなくなって(VCTの視聴と椅子に座ることが無理になった)布団で横になっていたが、夕食の鶏胸肉を頑張ってオーブンレンジに放り込んだらなんとか回復した。鶏胸肉は美味しかったので鍋のポーションを全部使い切ったら夕食をこっちに移行する。但し、薄く切っておかないと中まで火を通すのが難しくなる。

にしても金曜夜から気分が晴れない。エラーをまともに読まないで質問されたり、そもそも書いたコードのテストをせずに添削を依頼されたりしたことのストレスが思ったより溜まっているらしい。いや、これ自体はどうでもよくて(あまりよくはないが比較の問題である)それが今後も続くような予感がするからである。別に自分が有能な事を言いたいわけではないが、点数や普段のアクティビティの結果として現れた事実から今後も何かしらの助けが要求される可能性は高く、その度にここまで消耗するのだったら「最初から無能を装って行動していればよかった」と思ってしまった。

これは私の行動原理の主軸である「頭が良いと思われたい」という思考に真っ向から反する思考であり、こんなものが生まれてしまったぐらいには消耗してしまった事を実感した。こんな状態だが、来週はほぼ休みが取れないような状況なのでどこかで精神の休暇を取ろうにも難しい。研究室に行かず部屋で作業していてもSlackやらで幾らでも質問される可能性がある。それが杞憂に終わる事を祈っているが、被害妄想甚だしい性格なので杞憂に終わったとしてもそれまでに消耗するのは間違いない。

代償のないストレス解消方法

また最近ストレスの解消方法に困っている。ちょっと前まではCTFの問題を解けばよかったのだが、それが日課になってしまったせいで特殊性が無くなり、ストレスを解消出来る程の刺激では無くなっている。というか、最近のストレスの原因は知的活動で脳味噌が疲れた事に由来すると思っていて、そういうわけで何も考えなくても楽しめるようなものしか対象にならない。そうなると結局「食事」ぐらいしか無く、また健康への影響が心配される。代償無くこの手のストレスを解消する方法は無いのだろうか。

ところで最近めっきり見なくなったゲーム配信だが、多分そういう時には結構向いているんだと思う。常に見どころがあるわけでも無いから精神的に疲れることが無く、一方で音は常になっているので何らかの刺激が脳に届いている。現代社会に疲れて何もしたくない状態の人間が多くを占める現代に流行るべくして流行ったような娯楽である。

適材適所の外側

内々定が出た直後はそれなりに嬉しかったものの、最近は働くということに恐怖を感じている。というか私が上手くやっていけるような職種が存在しないような予感がしている。研究者になるには「脳味噌」や「我慢強さ」が足りず、技術者になるには「顧客への興味」や「問題意識」が足りない。教育者になるには「他人への思いやり」が足りず、経営者になるには「社会への興味」が足りない。接客業が向いていないのは言うまでもない。追い打ちとしてニートになるには「退屈への耐性」が足りていない。八方塞がりとはこのことである。

適材適所なんて言葉があるが、あれは選択数が限られている場合の配置でこそ輝くものであり、全員配置しようと思うと余り物のせいで全体への寄与はマイナスになる。全体への興味が無いくせにマイナスになるのは嫌だという至極身勝手な願望に心を蝕まれながら、就職までの長くない日々を苦しみながら生きている。