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External Entity

2022/03/06

11時就寝、18時前起床。

お湯が沸く間に洗濯機を回しに行く。お湯が湧いたのでお茶漬けを食べる。なんか飽きてきたし納豆ご飯の方が美味い。そういえば卵が余っているのでそれをかける事を試みようと思う。

友人にいつもの温泉に誘われたので行く。帰りにゲオによって箱コンを探すが、そもそもXboxのコーナーが(新旧どちらも)無かった。

スーパーで納豆とそのた味覚を満たすためだけの食材を買い込んで帰宅。

これを書く。お茶漬けしか食べてないので買ってきた食材を少し食べてあとは適当にやりたいことやって寝ると思う。

今日は6時までに寝ます。

思考

NTRの性別

私は男性の異性愛者なので性的嗜好を指す言葉には主に女性の特徴が入ったりするのだが(実「姉」、義「姉」、人「妻」等がその例である、例であって私がそのような思考を有している事を宣言しているわけでは無い )、NTRに関しては言葉だけ見ると性別を含有しているように思えないのに、何故か「男性の」パートナーが他の対象に寝取られるという意味として使われているように思える。

逆NTRや泥棒猫という言葉があるが、前者はNTRの性別に関する対義語として用いられ(特に同人音声においては、聞き手が男性である事を想定していることから、NTRと逆NTRではかなり異なった体験が得られる)、後者は性別を特定していることから、NTRから男性を剥がすには至っていない。そして最近は「BSS」(僕のほうが先に好きだったのに)というNTRの派生ジャンルがあるらしいが、読んで分かるようにこちらも男性特有の性的嗜好であることから、元となったNTRが男性特有のものである事を色濃く表す例だと思っている。

もっともこれは私が男性の異性愛者であるから、そう解釈する例を見ているだけであって、女性がパートナーを奪われる事を「NTR」とする作品や創作者が存在する可能性がある。ただ、この思考メモを生成する上で5分ぐらい調べた結果だとあまり芳しい成果は出てこなかった。

人間嫌いと人間らしさ

よく創作において、人間嫌いの人間がペットを飼う事で人間から逃避しているのを見るが、個人的には「ペットを飼う」という行為が極めて人間らしいものだと思っているので(他者という)人間から逃れる事は出来ても、(人間らしさという)人間からは逃れる事は出来ていない。そもそもこの手の人間嫌いは往々にして「他人が」嫌いな事が多く、種族や性質としての人間が嫌いがメインでは無い。

そういうわけで人間に対する冷笑や厭世によるペット愛好家の事をあまり好きになれず、そういう作品に感情移入するのが難しい。現実で仮にそういう方にお会いしても、真っ先にそういう先入観に犯されるのは間違い無いだろう。

正直、この論法は少々性格が悪いと自分でも思っている。なぜなら、人間の行動を1つ適当に選んでそれを「人間らしい」と言えるのは当然だからである。例えばこれがペットでは無く「学問に打ち込む」でも同様である。現在発見されている種で特に高度な知能を有している人間にしか出来ないことから、これも極めて人間らしい行為である。

嫌悪感の表明に関する諸問題

前述の人間嫌いに関する思考メモは元々はペット愛好家に対する反論として書こうと思っていたものだった。何故か世界には9割ぐらいの人間の感情を以てそれを10割へと丸め込む風潮があり、赤子や子供、犬猫辺りは万人受けするものだという雰囲気が醸成されている。そしていずれも苦手な私はそれに何度も苦しんでいる。加えて、最近では「オタクはだいたいきらら系が好き」みたいな雰囲気もあり、中身の希薄さを絵柄と現実逃避で誤魔化している作品群としか思っていない私は非常に肩身が狭い思いをすることがある。

そういうわけで、マイノリティの苦痛という共通点があることから、LGBTQ+のような人たちが自身の生き辛さを言語化するムーブメントには実は期待していたのだが、まさか今のような方向に向かってしまうとは思っていなかった。自身の居場所を守る為の運動が、他者の居場所や思考の自由度を奪うような運動になっているような気がしてならない。そして、そのカウンターとしてマジョリティが反発し、見かけ上維持されている配慮は不本意な義務の現れとなっている。

単純に特定の属性が不快になる発言を控えるだけで良かったのに、実際はポジションや特権が用意されている。マイナスだったものが0になるだけでマジョリティに参加出来るはずなのにプラスにまで引き上げたことで、相対的にマイナスとなったマジョリティの顰蹙を買うのは当然であろう。

個人的には、上記のような苦手な感情を1回だけ吐露するので、それ以降は対応する不文律を廃してそういう話題を振らないでくれればよく、私の良い感情を作用するようなものを与えることまでは要求していない。特にマイノリティに対する反発を取り締まるような雰囲気になった結果、私の苦手なものに対する感情を露呈しにくくなった事は非常に残念である。思考的マイノリティがマジョリティに殺される前に、まさかの属性的マイノリティに殺されそうになっているのである。

単に嫌悪感を吐露しているわけではなく、不快な文脈を事前に排除して以後の円滑なコミュニケーションを求めているだけなのに、そうと受け取られず過激な発言と捉えられて避けられるのは、単純に俺のコミュニケーション能力が欠如している以上の理由があると思っている、そう思いたいというのもあるが。